東城町概要


沿革
  • 帝釈峡馬渡遺跡から出土した安山岩製の刃器や石片、ならびに現在は絶滅しているオオツノジカの顎骨は約2万年前のものと推定されていることから、この時期には既に、現在の町域に人が住んでいたと考えられている。
  • 古墳時代になると、その遺跡数もがぜん多くなり、人口も急増し、開拓も進んでいたことがうかがえる。 特に、東城盆地、粟田盆地、帝釈未渡盆地の周辺には集中して遺跡が存在していることから、かなりの規模の集落か存在していたことが考えられる。
  • 室町時代には、宮氏が五品嶽に城を築き、その後、大富山城(現在の西城町)に本居を移したことから、『東城』の名称が使われるようになる。 東城の市街部を川西村から分離独立させて東城町とした1640(寛永17)年から、東城の名称が一定範囲を示す町名として用いられるようになる。
  • 浅野藩の時代には、東城は藩境の重要拠点として栄えた。古くから砂鉄を原料とした、たたら製鉄が当時のこの地方の主要産業。
  • 明治維新当時、現在の町域は30の町村に分かれていたが、1889(明治22)年4月1日の市町村制施行により、奴可郡小奴可・久代・帝釈・田森・東城・八幡の各村および神石郡新坂村が誕生。
  • 1898(明治31)年2月10日、東城村は町政を敷き、東城町に。
  • 1955(昭和30)年4月1日、東城町と小奴可・八幡・田森・久代・帝釈の5か村、それに神石郡新坂村のうち新免と北半と三坂の大部分が合井して、広島県の町村では一番広い、東城町か誕生。
  • 2005(平成17)年3月31日庄原市と比婆郡全5町、甲奴郡総領町が合併し、改めて庄原市が成立。これにより東城町は消滅、比婆郡も106年半の歴史を閉じる。

旧比婆郡東城町について

●面積 304.92km2
●東経 133°16'23"
●北緯 34°53'36"
●標高 315.4m
●平年平均気温 13.4℃


町章

1965年(昭和40年)3月29日制定。
TOJOを図案化し、東城とポットホールと城山をあらわしたもの。


tree of the town : yamamomiji町の木:ヤマモミジ
1985年(昭和60年)9月3日制定

春は新緑、秋は燃えるような紅葉で、東城町の山野にいろどりをそえ、町民のみなぎる気力と情熱を表すのにふさわしい。特に、帝釈峡の峡谷に群生するヤマモミジは、町民ばかりでなく広く訪れる人々の心を和ませてくれる。


flower of the town : kobushi町の花:こぶし
1985年(昭和60年)9月3日制定

東城町の山野に広く自生する落葉高木で、春を告げる花として親しまれている。その純白で清らかな花は、清心で誠実を願う町民の気持ちを表すのにふさわしい。古くは農作業の目安となり、花が多く咲けば豊作になると言われている。


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